囲碁と将棋(囲碁/将棋民の間の溝から感じた話)

囲碁も将棋もしない人々からは、囲碁・将棋と一括りで扱われることが多い。「なんだかよく分からけど、おじさん or おじいさん二人が向かい合ってパチパチやっているやつ」という括りなんだろう。
それぞれの愛好者や業界関係者も「お隣の将棋界(or 囲碁界)」みたいな表現をすることもある。
ただ、囲碁愛好者(以下、囲碁民)と将棋愛好者(以下、将棋民)の間には結構深い溝があったりする。最近感じたこととしては、下の表の点がある。

囲碁も将棋もしない人々には意外かもしれないが、①に書いた通り、両方やる人(もっと具体的には両方とも有段者である人)はかなり少ない。おそらく、自分にとって面白いと思える方を集中的にやるからだろう。そして、面白いと思えるようになるにはある程度の経験や訓練が必要なので、一度ハマった方から乗り換えることはなかなかない。

いずれにしても、入門者~初心者の段階で、周りに導いてくれる人か一緒に楽しめる仲間がいるかが重要になる。たとえば、一度囲碁にハマった人は何かきっかけがないと将棋にハマることはなかなかないと思うし、逆もそうだと思う。(自分自身を振り返ると、本格的に囲碁を始めたきっかけは中学1年の時の同級生(囲碁アマ三段)に誘われたからだし、将棋の方は高校2-3年の時に将棋アマ四段の同級生がいて、丁寧に指導してくれたからだ。)

③については、多かれ少なかれ、人は自分がよく知っているものの方が好ましく感じるので、自分がやっている方が難しく(or面白い)、もう一方の方はそうでもないと軽視するのだろう。ネット上で見られる議論では、そういった自分なりの結論があった上で自分にとって都合のよい解釈を主張しているように見える。(だから、両方をやる者からすると、「その主張はムリがあるし、そもそもどっちでもいいじゃん」という気分になる。)

大した話でないが、④については将棋youtuberが「お隣の囲碁界では、名前は知らないけど最近規模を大幅縮小した棋戦があって、、、(←本因坊戦のこと)」と言っているのを聞いて、一囲碁ファンとして「将棋民は『本因坊』という名称すら知らないのか、、、」とかなり驚いたことがある。まあ、囲碁民以外からすると「本因坊って何?」って感じだろうから、将棋民に限った話ではないのだけど。

とりとめのない話になってしまったが、今は他の娯楽がたくさんあるので、囲碁にしても将棋にしても「身近に感じられる話題」「始めるきっかけ」「初心者を導いてくれる人」「一緒に楽しめる仲間」が少ない状況だと、どちらの世界もごく一部のコアなファンを除いてどんどん衰退していく。囲碁民と将棋民がやり合っているうちが花なのかも、と少々寂しい気持ちになってしまった、、、

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